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木のこたち
連日、木を削ってます。
作家さんたちとお話しながら作業していると、全然違う分野でもふうむと思えることがあって、考えてモノをつくることをするべきだなあと思いました。
今は手を動かそうとすることに必死だけれど、なにを伝えたくてつくるのかとか、どうつくりたいのかとか、学生時代はあたりまえだったことを、もう一度じっくりやっていかないと進まない気がします。小さくて細かだけど、大事だったことを思い出そう。
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私は思ったことをすぐ口に出して、あってなることが多いんですが、飲み込んでもあああああとなります。
そんで、煮詰まったら
こういうときは、本を読もう、映画を見ようと思いました。見聞を広げる活動に気持ちを注ぐべき。はってするの、ほってするのは、いつも外にある。どんづまったの後にどうするかをぼんやり見通す。濃くしすぎた味付けを薄めるみたいに、体に水を入れる。
前向きにことを考えようとして口に出すけど、ほんとは弱音しか出てこないぜ。
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人が食べてるものがうらやましくて、タルタルソースつくりました。
タルタルソースにしては具が多く、大きすぎるきがしないでもない。
ピクルスなんて洒落たものはないので、左がきゅうり。右がしば漬け。
私はしば漬けのほうが好きでした!よ!
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おいしいごはん
お昼の時間は終わってたのに入れて下さり、健康診断でお腹ぺこぺこと言うと、おまけに一鉢付けて下さり、ごはんおかわりも頂くという・・・あああしあわせ!
ほんとにやさしくて気持ちのよいおかみさんとおみせです。
わたしもこんなしごとができるようになりたい。
人と会うことや話すことがごはんと同じ役割になってきたように感じる。
(まあごはんには勝てないけど)
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陽が入ってくるところでごはんを食べて、本を読んでいると気持ちが穏やかになりました。あらまあ。ってなりました。
よく噛んで食べるとか、眠たいときは目をつぶるとか、傷口に薬をぬるとか、普通のことができなくなって、できないことにも気がつかないで、がさがさしていたなあと思います。いつもあるととどうとも思わなくなるので、いけない。
涼しくてすこし冷たいけど、動いたり慌てたりしたらすごく汗をかく季節には、油断してはならない。私にできることは丁寧にすること、たいせつにすることのみ。
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言葉に詰まったときっていうのは何か言いたいときだと考える。
私は文字を読むのがあまり得意ではないけれど、人の書いた文字を読むのは好きです。
人の書いたというのは、手書きということではなくて、なんかその人が書いたあとが感じられるような、ときどき擦れたあとや滲んだあとがありそうな気がするやつです。小説家の作品というのではなく 誰か人 が書いたやつです。
ときどき、昔に見た小説のサイトを思い出すことがあります。
短いお話がいくつかならんでいました。小説の内容は人と人との会話劇みたいなのが多かったように思います。なんか苦いようなさわやかなような、じっとり体温を感じるようなお話が多かった気もします。小説の中身が気に入ったというよりは、文体というか、表現の仕方に、当時の私はずしーんときました。その気持ちがまだ残っています。
女性の多分学生さんが書かれていて、シンプルなデザインだけど色使いは毎回違って、カッコ書きが多く使われていて、タイトルやラストの部分はフォントのサイズが変わったりもしていました。
文章を書くことはたくさんの人がしているだろうけど、その中から選んで読んでいて、なにも特別ではないけれど、書いた人にとってはとても特別で、読んだ人の中にも特別だと感じる人がいるというのは、なかなかにすごいことだなあと思います。